とるにたらない話

日常の記録や思考のあれこれ

満月

 

夏の夜にベランダに出るのが好きだ。夏は好きじゃないけど夏の夜は緩やかで好きだ。

 

特に何もせず月を見上げたり夏の虫の音を聞いたりむわっと香る潮の匂いやべたつく風に夏を感じたり。そんなことを知覚として感じ取っていることすら別に意識していないぐらい、ぼーっとただそこにいる。外にある全てのものの中の一部として、単なる一固体としてそこに存在している時間が好きだ。明朝には満月らしいと聞いて、今日もまた外に出た。確かにほとんど満月だ。月がまんまる。

こうしている時間「〇〇 〇〇(本名)」としての自分の存在は消えているようで、ただ生物として、その空間でそこで息を吸って吐いている何かとして、そこにいられることに安堵する。人間であることから逃れられる時間は落ち着く。これまで生きてきたことで蓄積された自分の情報がべろんと剥がれて、それを部屋の明かりの中に捨ててきている感じがする。この暗さの中に自分は居ないのだなと少し自由な気持ちになる。あらゆる考え事も面倒ごとも、明かりの中に放り投げて置いてくる。私以外人のいない緩やかな暗闇はどこまでも放任的で、無干渉で、それでいてどこまでも懐が広い。そこまで考えて、私はいつの間にかそんなに窮屈な装備を付けていたんだっけか、と思う。

別に常に同じ自分でいなくちゃならないだなんて枷を自分にはめたつもりはないけれど、流石に前日はド陽気に「おっはようございまーす⭐︎」と挨拶した人間が翌日人見知りに変貌して「あっ…おはようございます……」みたいなことをしたら周囲の人を困惑させてしまうので、人間社会で生きる以上ある程度の一貫性は必要だろうとは思う。そして自分の方もある程度の一貫性は自然に身に付いてしまう。仕方のないことだけれど、それは窮屈でもある。名前がいくつもあったら楽なのにな、とハウルみたいなことを思う。多分何だかんだ死ぬまでずっと思っている気がする。

まぁ別にそれに限ったことじゃなく、なんだかんだ日常の中で錘となって自分に乗っかっているものの色々の話なんだと思う。それらをどっかり置いておける時間、「非日常」の時間は必要で、そこから更に私の場合は区分けがあって、人が存在する非日常と、存在しない非日常のどちらの時間も欲しているのだろうなと思う。

 

こんなことを考えていると、まあこれも所詮過去どこかの誰かしらがいくらでも考えた、もしくは今も考えていることなんだろうな、と思う。昔から思うけれど、最近観た舞台『2020(ニーゼロニーゼロ)』でそんな台詞があったから尚更だろう。でもそれが仮に過去誰かが辿った思考の断片であったとしても、世界全体からすればデジャヴだったとしても、別に既存の絵に塗り絵をしているわけではないのだ、ともまた思う。私は私で似たような絵を描いているだけ。別にそれはコピーではなく、ただ同じ植物が違うところに咲いていたぐらいのものだろうとも思う。世界に思考や感性の種みたいなものがあって、それがポツンポツンと散らばっているみたいなものだろう。誰かが考え尽くして答えが出ているとしても、私は今その過程にいるのだから、そんなことは関係ない。

 

月が綺麗だ。

空が晴れていて満月がくっきり見える。夏の夜はいくら月をぼんやり見ていても風邪を引くことはないから、心ゆくまで外にいられる。

朝昼夜でどれが一番好きかと問われて夜と即答できるほど昼間の明るさを欲さない人間ではないけれど、それでも夜は好きだ。どれだけ朝の頭の働く時間を有効活用しようと言われても、やっぱり夜の時間は朝には持てないのだから、朝型にはなれそうにない。夜の時間は朝の時間に替えられるものではない。そもそも自由な私の時間までそんな「効率」の枠に持っていかれたらたまったもんじゃない。効率的な自分を使うのは昼間だけで十分だ。夜はとことん非効率で怠惰で無計画で無意味な時間を過ごしたい。本来人間が活動するに適していない夜は、そういう無意味な時間を許容してくれる寛容さがある。何も言わないで放っておいてくれる夜が好きだ。

 

 

月の周りにうっすら雲が流れてきた。薄い雲なので、月を隠すことなく流れてゆく。束の間月の光に染められて、横に流れていく雲もまた綺麗だ。

 

 

普段こういう時間、自分一人が世界に浮かんでいる、と思えるような自由で現実離れした贅沢な時間に、文章を書こうとは思わないのだけれど、今日はこの時間を形として置いてみたくなった。ので、何となく書いている。

 

何かを書くことは、それが自分の中にあることの、自分への証明になったりする。それがあることを思い出せる。だから私は自分の文章を読み返すのが好きなのだと思う。"その自分"があること、あったことを自分で確認する作業。かならずしも全ての自分に自覚的である必要なんてないけれど、でも、覚えておきたい自分や時間というのもまたある。そういうときはその時間を何らかの形で保管しておく。それをまたいつかの自分が開けるかもしれないし、開けないかもしれないけど、とりあえず置いておく。

 

雲が増えてきた。